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2022年2月13日

日本の結婚式の歴史を、知ってますか?

日本の結婚式の歴史を、知ってる?

今回のブログでは、日本の結婚式の歴史について調べてみました。外国にもいえることなのですが、やはりその原点には「神話」があります。日本では、その主人公はイザナギノミコトとイザナミノミコトです。このふたりの神が、どのように結婚式の原点をつくったのか。

そしてつぎに、「三日餅」という結婚の儀式についても書いてみました。

 

いまとむかしの結婚式

 

今昔の結婚式

いま、結婚式場は洋風のデザインが圧倒的に多いですね。

おおくのカップルは、教会式を選択しますから、おのずとウェディングドレスとタキシードが選ばれます。

演出も、誓いのキス、フラワーシャワー、ケーキカット、デザートブッフェなど、海外から影響を受けたものが多いです。

どれも素敵ですが、せっかくなら日本の結婚式の歴史にも触れてみませんか。

日本の結婚式の原点といえば、神社での結婚式を想像する方も多いと思いますが、もっともっと時代をさかのぼります。

 

日本の結婚式は、どのように生まれたの?

日本の結婚式は、どんなふうに生まれたの?

 

結婚式の由来について、みなさんはどのくらいご存知でしょうか。もちろん、いまとむかしでは、そのスタイルも儀式もまったく違ったものです。
おおくの国では、結婚式は神話の世界がベースになっています。日本も例外ではなく、日本の国土や神々を生んだとされるイザナギノミコトとイザナミノミコトが、その主役です。

イザナギノミコトとイザナミノミコト

最古の神々は、男女の性を持っていなかったといわれています。この主役の2人の神は、性をもつ最初の神でした。二人が天浮橋(あまのうきはし)の上に立ち、天沼矛(あめのぬぼこ)をもって海を探り、その矛の先から滴り落ちた滴が島となったといいます。2人はその島に降り立って、「天の御柱」と大きな神殿である「八尋殿」を建設したのです。2人は、それぞれ別の方向から歩いてきて柱の片側で会うことにしました。男性神は左側で、女性神は右側です。それぞれがもう片側で出会ったとき、女性神が「なんて素敵な殿方なんでしょう」と、最初に言いました。つぎに、男性神が「なんて愛らしい乙女だろうか」と、答えました。2人はこうして結ばれ、結婚をします。

その後、女神は蛭子(ひるこ)を生みました。が、一説によると、この子は三歳になるまで脚が立たなかったそうなのです。その原因としては、2人の神が柱を廻って出会った時に、女性神が先にことばを発し、男性神がそのあとでことばを発したことで、陰陽の順序が逆となったからでした。よって、今度は順序を変えて、男性神からj女性神に声をかけて儀式を行いました。そのけっか淡路島、大八洲が生まれ、アマテラスオオミカミ、ツキヨミノミコト、スサノオノミコトが生まれたそうです。ちなみに「左が先」「右が後」という順序は、左大臣と右大臣の上下関係のように、日本古来の考え方にあらわれています。伊弉諾尊と伊弉冉尊の結婚式は、まさに、後世の結婚式にも影響を与えているといえます。

三日餅

さぁ、それではもうひとつご紹介させていただきます。三日餅という儀式です。「妻問婚」「婿取婚」(嫁入婚以前の結婚の形態)時代の婚礼は、平安時代の文献に多く見られます。「三日餅」(ミカノモチヒ)という儀式は「男側が女側のもとに忍び通い、その三日目に餅を食べる」というものです。また、「露顕」(トコロアラワシ)という儀式もあります。内容は、「忍び通いの三日間を経て周囲に公にする」といったものです。それらの儀礼を、鮮やかに描いた作品が『落窪物語』です。では、その中身をみてみましょう。
物語の主人公である落窪の姫は、中納言忠頼の娘です。母をすでに亡くし、中納言とその後妻である北の方、四人の異母姉妹らと暮らしていました。が、その境遇ゆえに、酷いいじめに遭っていたのです。落窪という名前の由来ですが、彼女があてがわれた部屋の床が、くぼんでいたためです。ただ、召使の阿漕夫妻だけが、落窪の味方をしてくれました。この夫妻は「何とかして、立派な殿方に姫のことを盗んでほしいものだ」と話し合っていました。

左近少将道頼は阿漕の夫と親しかったのですが、落窪のことを聞いているうちに思慕するようになりました。ほどなくして、姫のもとに通い始めたのです。三日目になったので、阿漕は伯母に頼みこんで餅を用意し、この新たにむすばれる夫婦のために「三日夜の餅」の儀式をさせました。なんとか中納言家に知られることなく、落窪は婚礼を挙げることができたのですが、その境遇もあって「露顕」の儀式は成し遂げることができませんでした。

当然ながら、夫婦としての生活を中納言邸で営むことはできるはずもなく、道頼は阿漕夫婦の協力を得て落窪を盗みだし、かくまうことができました。
そのころ中納言家では、北の方が四女の婿として、なんと道頼を考えていました。そのことを聞いた道頼は、かつて落窪が受けた待遇にたいし報復をしようと、愚か者の兵部少輔(ひょうぶのしょう)を自身の替え玉にしました。兵部少輔は四女の部屋に通いますが、暗いためにだれもその姿には気づきません。むかえた三日目、中納言家では「露顕」の用意をし、燈火をともして待ちます。そして、ついに婿の姿をまじかで見て、一同はおどろきました。そこには、兵部少輔がいたからです。「露顕」の儀式も済んでしまい、後に引くこともできず、婚姻が成立してしまったというのが、物語のあらましです。
この時代、「露顕」や「三日餅」の儀礼が、有無を言わせない重要な意味をもっていたことがわかります。

 

いかがでしょう。現代の結婚あるいは結婚式からは、想像もつかないお話ですね。これらのことを、結婚式の演出に活かすことも、ちょっと難しそうです。

今回は男女の結婚にまつわる歴史でしたが、次回は同性婚についても調べてみたいところです。はたして、はるか昔はいったいどうだったのでしょう。

近い未来、LBBTQが結婚できることがあたりまえの時代となり、結婚式も開催できるようになることを願い、歴史を探ってみたいと思います。